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VOICE 42. | 2017.January | YO SHITARA

 

VOICE 42. | YO SHITARA(株式会社ビームス代表取締役) | Photography by Keiichi Nitta | 「“ここにいる面白い集団”でありたい」

Text_Viola Kimura

 

 

今回のゲストは、BEAMSのトップとして東京のカルチャーシーンを牽引してきた設楽洋氏。1976年の設立以来、原宿を中心にストリートのファッション、音楽、そしてライフスタイルを創り出してきた。彼らはそれを「“パッサージュ”をつくる(人通りのなかったところに道をつくる)」と表現する。そんなBEAMSは2016年で設立40周年となり新たなフェーズを迎えるべく新しい展開を次々と見せている。これまでのBEAMSの歩みを振り返るとともに、その背景にある思いについて話を聞いた。

 

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原宿でスタートし、ファッションの中心地からトレンドを発信しつづけてきたBEAMSですが、当初はライフスタイルを提案するショップだったんですよね。

 

「BEAMSは1976年に設立しました。僕は50年代の非常に面白い時代に生まれ、男の子はアメリカに、女の子はパリに憧れるという世代のなかで過ごしていました。BEAMSは当初洋服メインではなく、“AMERICAN LIFE SHOP BEAMS”として、いわゆるアメリカの学生のライフスタイルを売る店をやっていました。八百屋の跡地だった、今の原宿の店舗の奥のコーナーではじめました。原宿にはまだ殆どお店がなく、ラフォーレもありませんでしたから、セントラルアパートにレオンという喫茶店があって、マンションメーカーが少しずつ立ち上がっていたくらいの時期でした。BEAMSはストリートから生まれるカルチャーの“パサージュ”、それまで人通りのなかったところに道をつくっていくという意識でやってまいりました」

 

 

丸ビル、新丸ビルのBEAMSは今や駅前のシンボルのような存在にもなっていますね。丸の内に出店した経緯を教えてください。

 

「2002年にショップに限らず丸の内全体の開発に参加してほしいという話をいただきました。その時は自分たちには向いていないと感じたんです。それまで路面の小さな店でストリートのカルチャーをつくってきた我々は、こんなに大きなプロジェクトには参画するところではないと。それでも小さな規模での街づくりには少しずつ参加していましたから、そうした経験からお話できることをお伝えさせていただく、という形で関わり始めたんです。
そんななか、店舗出店のお話が具体的になってきました。そのときに、丸の内にはどのような人たちがいるのか見渡してみたんです。すると、原宿でスタートしたBEAMSのお客さまだったみなさんが、大人になって丸の内へ働きにきているということがわかりました。当時は店にも親子二代で買い物にきてくださるような場面も見られるようになっていました。そんな、大人になったBEAMSの卒業生のみなさんに向けて店舗をつくろう、というのが丸の内での出店の裏コンセプトでした。
15年前の丸の内と言えばただのビジネス街で、土日に人っ子一人来ないようなところで、こんなところでどうやって商売をすれば良いのか見当もつかないような状況でした。その街に、丸ビル、新丸ビルを中心にいろいろな展開をしていこうというチームで、これまで我々が小さくつくってきたような“パッサージュ”を沢山つくっていければ、と考えています」

 

 

 

人の購買のありかたはどのように変化してきたのでしょう。

 

「BEAMSがオープンしたころの若者はモノと情報がなくて飢えていました。まだ『ポパイ』のような情報誌が出る前でしたから、何かを買うにも情報収集が大変だったわけです。40年経った今の若者は、逆にモノと情報が多すぎる状況に渇望感を抱いていますね。ですから、今のセレクトショップの使命は、これでいいんじゃないの? とたくさんある選択肢を絞ることだと考えています。かつての流通の王様は百貨店。我々は“十貨店”として、自分たちで探してきた10個のものを紹介しようというスタンスでやってきました。今はありふれたモノと情報のなかで違った役割を担うようになってきましたね」

 

 

 

2016年リオープンした新宿のBEAMS JAPAN。47都道府県のモチーフが印象的ですね。

 

「47都道府県それぞれ公式のマークがありますが、日本人自身が“日本ってかっこいい!”って思えてはじめて海外の人にこの国の良さを伝えていくことができると考えているので。20年ほど前からそう考えていました。私自身、当初は海外の素晴らしいものに憧れて、それを探してくることを仕事にしましたが、外国で素敵なものを手に取ってみるとメイド・イン・ジャパンだったりする。灯台下暗しだったことに気づいたんです。そしてそれは多くの大人や若者もそうだろうと。20年前にロンドンのサヴィル・ロウでギーヴス&ホークスという老舗テイラーで、100年前の生地サンプルを見せていただいたことがありました。そして“これは素晴らしいシルクですね”と言ったら、それは日本の着物の素材だったんです。向こうの人は100年も前に知っていたそれを、僕は原産地にいながら知らなかった。パリのコンランショップで曲げわっぱの弁当箱を見た時も、それまではただの箱、でしかなかったものが、実はモダンな生活スタイルに溶け込んでいくものだったと気付かされました」

 

 

 

 

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