今の二人を形成するまでのルーツとは
山本:若木さんと小林さん、それぞれの生い立ちについて話を伺いたいのですが。若木さんは、写真を撮り、今は映像も撮っている。小林エリカさんに今回お願いをしましたが、何をする人なのか実は、よくわからなかったんです。昔は、アーティストってわかりやすい存在でもあったけれど、今は一つの作品だけじゃなくて、マルチにいろんな表現をしながら活動をしていくのは、生い立ちが何か影響しているのかなって。
若木:ただのカメラ小僧でした。子供のころから、あちこちにカメラを持って、ぶらぶら出かけては写真を撮り、学校にも持って行っていました。小、中学校の頃は、ちょうど80年代だったので、雑誌は全盛期。日本の雑誌や、海外の雑誌を見て、出版とかメディアって面白いなと思ったんです。それが写真を本格的にやってみようと思ったきっかけでした。
山本:小林さんの生い立ちは?実際には、何をしている人ですか?本も書くし、マンガも書くし。
小林:すごく肩書きに困る存在なのかなと思います(笑)。幼い頃の最初の夢は、小説家でした。10歳の時に「アンネの日記」を読んで、13歳なんですよね、アンネが日記を書いているのは。自分と3歳しか違わない女の子が、何かすごいものを書いていると思って衝撃を受けました。本の中で、「私の夢は作家か、ジャーナリストになること」って書かれていたのを読んだ時に、まるで我が事のように、なるほど。と思い、それ以来ずっと作家か、ジャーナリストになりたいと夢を見ていました。ジャーナリストの方が現実的でしたね。ロッバートキャパみたいな戦場カメラマンになりたいと思った時期もありました。でも運動神経鈍いし、戦場で私は足手まといになってしまうと思って、あきらめました。そうこう考えているうちに、じゃあ戦場ってなんだろう?と疑問がわいて色々調べ始めました。そしたら戦場は、無数にあって、なんとかこれを伝えなくてはという使命感を抱きはじめた。でも考えて行くうちに結局、自分のいる今ここから、考えて行かないと何も変わらないんじゃないか。それなら私が今いるここでできる何かを続けて行こうと考えたら、それが文章で小説をかくことだったり、コミックを描くことだったり、それを展示で一人一人持ち帰ってもらうことだったりした。それが今の私の仕事という感じです。
山本:作家さんは書くために、次は何を書こうという視点で、いろんな本を出して行くという方もいる。でも小林さんの場合は、いつもテーマがあって、これを書こう、これはコミックにしよう。テーマに合わせた表現方法で伝えて行くという印象があります。
小林:たぶん私の中に何か一つの大きなものがあって、それをどこから描いたらいいかと、いつも考えているような気がします。その大きなものが何かはわからない。それは、こっちからみたら小説で書いた方がよく伝わるし、あっちから見たら、コミックの方が伝わるかもしれない。最終的にぼんやりしたその何かが、少しでもはっきり見えるような存在になれたらいいなと思っている。だから色々な手法で大きなものを書いていたいと思っています。若木さんは、そういうのありますか?
若木:今、映像と写真と撮っていますが、時代の影響も大きかったと思う。僕が子供の頃も、選択肢は色々あったけど、自分の中で一番フィットするのが写真だった。写真を通して自分の目に見えるものや、起こっていることを理解しようという方法を取ることにしたんです。ここ10年くらい、映像を使って物事を理解しようという方法がだんだん馴染んできたような気がしています。おそらく若い人は、映像がメインだと思うんです。You Tubeを見たり、iPhoneでも写真を撮ったり映像が撮れる時代だから。何か記憶しようと思った時に、映像で撮ることも多いはず。それは、思い出す時に動いている状態で思い出すことができる。写真だと止まっている状態。それってすごいことで、今の若い人たちはうらやましい。ちょっとした生活の中に新しいことを気づいていく。それをどんどん自分もやっていこうと思ったときに、あそこのスペースが面白いから、こういう風に展示したら面白いんじゃないかとか、動画でこういう作品をYou Tubeに出したら世界中の人が共感してくれるかもしれないとか。どんどん発信していける場所がある。僕は、今そういう流れに合わせようとしている途中のような気がしている。もういい歳なので、むしろそれを追いかけているような感じになっている。小林さんも新しい疑問とか気づきがあって、どうやってそれを人に伝えるかを考えた時、一番自分のプリミティブな表現方法を手に取る。それが一番やりやすいという選択になっているんじゃないかなと思います。
小林:若木さんが浜松で「BOOKS AND PRINTS」っていう場所をひらくことや、写真がさらにひろがっていろんな空間を作るとか、時間をつくることも、作品の一部のように感じています。
若木:バワリーキッチンはじめ、スペースで自由なことができる。カフェで貸し切ってパーティーをすることすら、ものすごく衝撃的だったんですが、それを実現させてもらえる。フライヤー置かせてもらえるとか、昔はクラブでしかできなかったことが、カフェでできるようになるのも浜松でお店をひらくことになった影響を受けています。近所の人が集まる場所が、東京でもできるなら、地方でもできるはず。どこにでも人はいるし、人が集まる場所が歩いて行ける範囲にあるのが、一番良いであろうと思っていて。浜松は僕の生まれた街でもあるので、一番やりやすいだろうと思っていて、始めたんです。でも場所を持ったら、何かやらなきゃという気持ちになりました。
伝えたいことをどう伝えるか
山本:お二人の話を聞いていると伝道師なのかな?と思えてきました。伝えたいことがあって、伝え方をいろんなもので見せてくれる。伝えたいことというのは、伝えきれるものですか?伝えるものは変わって行くものですか?
小林:私の場合は、一つの作品を作り終えた時に、またわからないことが出て来ますし、また違う発見がある。それが次の作品に繋がっていて、一連の流れで製作を続けることが多いです。若木さんはどうですか?
若木:そうですね。一つの疑問が起こったとき、連鎖的に疑問は増えていくものですが、結果が出てから伝えようとすると、いつまでたっても発表する機会がない。今僕はこういう疑問を持って、こういう考え方をしている過程ですということを見せている。その中で参加してもらうこともできるし、余白を人にゆだねているということもある。結果を出さないという状況が常にあるような気がしますね。
小林:それは若木さんの作品を見ていて、すごく好きだなと思う部分でもありますね。答えを聞きたいわけじゃないというか、答えが簡単にあるものに興味が持てないので、むしろ過程を知りたいと思う。それをいろんな作品から感じることができます。
若木:ありがとうございます。それを「途中じゃん、ちゃんと見れる状態になってから見せてください」と思う人もいるかもしれないですけどね。
山本:続編がでてくるということに似ていますよね?一人の作家、アーティストをずっと見続けて行く。次は何をするんだろうとか、次はどういう手法で何がでてくるかと変化を楽しむことが面白いですよね。小林さんも若木さんも、進化して行くアーティストとして見続けて行きたいです。僕は50歳を過ぎて、半減期でいうと半分はすぎている。残りの時間とか、多いか少ないかは別にして、なんとなくこれから先どういうことをやっていくかとか考えていますか?
若木:考えては打ち消しながらですね。このままこれを続けたらって、何か見えちゃうじゃないですか、なんとなく。だいたい一つの写真集を出すまでに、10年くらい。その間に細かいものを作ったりしますが、そう考えると、あと何冊だなとか。具体的な数字を出してしまったら、あと何作品くらいしか作れないんだと思ってします。そうすると止まってしまうんです。だからなんとか新しいものを見つけ出して、楽しみながら疑問を提示していけないと、自分に見えちゃうものは、人にも見えてしまう。だからこの人は、こういう生き方をして終わるんだろうなと思われたくない。先が常に見えない状況が、いいなと思う。
山本:お二人の今後のご予定は?
若木:今は、イマファンドを利用して写真集をつくろうとしているところと、来年公開の吉本ばななさんの「白河夜船」の映画を編集作業中です。
小林:私は「ひかりのこども」の連載と、ギャラリー360℃で「彼女は鏡の中を覗き込む」という個展を開催します。普段グループ展への参加や、スペースでの展示ばかりでしたので、今回公共空間でのインスタレーションはすごく良い経験になりました。ありがとうございました。