オープン時から丸の内ハウスのマネージャーの玉田泉さんはハウスの隅の隅まで知り尽くす、丸の内ハウスの顔。
今日も私サカキが玉田さんと一緒に飲み歩きます。
玉 田:サカキって踊りに行ったりするの?
サカキ:いやぁー、カラダが固くて全くダメですね。しかも最近肩が上がらなくて。
玉 田:昔よくSAMと一緒に踊りに行ったなぁ。
サカキ:ええっ、ダンサーのSAMさんですか?
SAM:泉ちゃん、こんばんは。
玉 田:SAMとはいとこなの。学生の時には家が同じ敷地内にあって、よく踊りにつれていってもらった。
SAM:懐かしいね。
玉 田:その頃は高校生だったのだけど、SAMはずっと鏡を見ながらダンスをしてたね。ロボットダンスでご飯を食べてたり。よく一緒にやったね。
SAM:その頃ロボットダンスくらいしかなかったから。しかも教室もお手本も何もないから試行錯誤して。あの頃はずっと歌舞伎町のディスコに通ってたなぁ。ディスコと学校の往復。
玉 田:私たちの家は結構厳しかったら、SAMは大変だったよね。親戚みんな医者になるのが当たり前っていう雰囲気だったから。
SAM:高2の時にグランパ(祖父)に呼び出されて、「ダンスもいいけど、高いところに登れば登るほど見える景色がちがうぞ」って言われて、ますますディスコに一生懸命に通ったりして。
サカキ:すごいおじいちゃんなんですね。
玉 田:そうそう、おじいちゃんって言われるのが嫌で、グランパ(Grand Papa)と呼べと。SAMが紅白歌合戦に出演したときに、親戚一同大喜びして。医者になるよりよかったねって。
SAM:そうだったんだ、ぜんぜん知らなかった。その後グランパの言葉じゃないけど、やるからには一番になってやると思って、体づくりをしたり、ジャズダンスをやったり、ニューヨークに行ってクラッシックバレーを習ったり。昼間はスタジオでレッスン漬けで、夜は仲良くなった仲間とクラブに行って、一日中ダンスだったなぁ。
佐 藤(MUS MUSオーナー):こんばんは。
SAM:佐藤さん、こんばんは。佐藤さんは僕がロサンゼルスに初めて行くきっかけになったダンスコンテストの審査員だったんですよ。
佐 藤:そうそう、当時は海外からもどんどんダンサーが来てたのだけど、その中でもSAMはダントツだった。満点をつけたのを今でも覚えてる。
玉 田:もう30年以上前かぁ。でもこうやってみんなで丸の内ハウスで一緒に御飯を食べているのも縁だね。
サカキ:SAMさんリクエストの蒸し豚わさびポン酢が来ました。やっぱり食べ物や飲物には気をつけてるのですか?
SAM:いや、あまり気にせず何でも食べます。肉・魚は特に食べるようにしてますけど。油物や豚骨ラーメンなども。でもあまりお酒は飲まないなぁ。飲む雰囲気は好きだからよく行くけど。
サカキ:お酒を飲まないとは、親戚でも大きく違うのですね。
玉 田:(笑)SAMはいまダンスでいろいろなことをやろうと考えているんだって。
SAM:そうなんです。不良だった自分を救ってくれたダンスで恩返しができないかって。子供たちにダンスを身近に感じてもらうレッスンとか、お年寄りにも自分の好きな曲でダンスをしてもらったり。水前寺清子さんの365歩のマーチでリハビリとかできたらいいなって。
玉 田:うわー、面白そう。リズムで体を動かすだけでも楽しいしね。
SAM:この丸の内でも何かできたらいいなって。
玉 田:丸の内にも仕事で心の悩みを抱えている人もいると思うから、みんなダンスで悩みをふっとばす。
SAM:毎朝職場でちょっとずつダンスを覚えていって、最後は1曲踊れるようになる。
玉 田:そしてクリスマスとかにみんなで踊れたら楽しいね。丸の内ハウスや丸の内仲通りでみんなでダンス。「丸の内総ダンサー計画」。
SAM:いいねぇ、さっそく振り付けを考えようかなぁ。
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