オープン時から丸の内ハウスのマネージャーの玉田泉さんはハウスの隅の隅まで知り尽くす、丸の内ハウスの顔。
今日も私サカキが玉田さんと一緒に飲み歩きます。
玉 田:今日はミュージックセキュリティーズの小松さんと久しぶりのご飯。小松さんは15年前に「音楽ファンド」の仕組みをつくって会社を立ち上げて、今では音楽だけではなく、お酒やワイン、地域創生などのファンドも行っているの。
小 松:今年の5月までは新丸ビルの10階の日本創世ビレッジ(三菱地所のインキュベーションオフィス)に入居していたので、ちょっと7階まで階段で降りていく感覚で、丸の内ハウスには毎晩お邪魔してました。
サカキ:まずは乾杯しましょう。小松さんは普段は日本酒をよく飲まれるとお聞きしましたが。
玉 田:そう、私たちは純米酒が好き。「酒は純米、燗ならなお良し」って。今日は最初から純米酒でスタートしましょう。
小 松:新丸ビル10階のオフィスで仕事をしていたら、玉田さんから電話で「是非紹介したい人がいるかちょっとこない?」というお誘いを頻繁にいただいて、丸の内ハウスで人脈が広がりました。そのまま朝までああだの、こうだのと議論したり、いろいろなことを教えていただいたり。明け方トイレで寝こんでしまって、気がついたら誰もいなくなってたことも。でも、自分はいつもオフィスにこもって仕事をしちゃうので、外につれだしてもらえてよかったなぁと思います。
佐 藤(MUS MUS オーナー):小松さん、こんにちは。
小 松:佐藤さん、ご無沙汰してます。最近地方に行くことが多いのですが、この間すごく面白い人に会いました。今度ご紹介しますね。
佐 藤:また何か始めるんだね。
サカキ:小松さんはそもそもなぜ音楽のファンドを始めたのですか?
小 松:もともと音楽をやっていたんです。ミュージシャンはお金がなくて、お金を出してもらうとクリエイティブな部分までスポンサーに握られてしまい、もし自分たちでお金をまかなえたら自由なクリエイティブができるんじゃないかと思ったのがスタートなんです。
サカキ:一般的に音楽の人って数字に弱いイメージがありますが、ファンドの仕組みをつくったりするなんてすごいですね。
小 松:僕はドラムをやっていたので、リズムじゃないけど理詰めのことは結構得意なんです。ビジネスってバンドと一緒で、リズムさえしっかりしていたら個性的なギターやボーカルが活きるんです。だから今は僕はビジネスのドラム担当みたいなものです。
サカキ:今までにどれくらいの数のファンドをつくったのですか?
小 松:会社を設立して15年になるのですが、その間に272社の405本ファンドをつくりました。金額にすると約70億円です。
玉 田:そんなになるんだ。
小 松:ハウスでできたネットワークから始まったものも多いですよ。僕等が最初に手がけたワインのファンドは北海道のタキザワワイナリーです。三菱地所の丸の内ハウスのご担当者にご紹介していただいて。タキザワワイナリーは滝沢さんが60歳から始めたワイナリーで、話をお伺いするうちに熱い思いが伝わってきました。その時は自社醸造の施設がなくて、その費用をファンドで集めたのです。1ヶ月で3,200万円集まりました。実はワインって設備投資から資金回収まで時間がかかるから、銀行の融資には合わないんです。僕等の仕組みはファンドなんですけど、自分では頼母子講に近いんじゃないかなって思っています。
佐 藤:昔の日本はみんなで地域をつくっていたと思う。コミュニティでムラの仕組みをつくって、支えあって。だけど支えあうといっても単に寄付や施しではなく、有意義に使われることが大切。そういう意味では現在の仕組みではうまくできなかったことを小松さんがつくりだしたんだね。
小 松:僕は東日本大震災の時に新丸ビルにいたのですが、その時の丸の内ハウスのスタッフの方々の対応に感動しました。いつもと変わらず、炊き出しまでしていただいて。そのこともキッカケとなって震災の復興ファンドを行いました。ファンドというカタチでずっと人々と関わりつづけています。
玉 田:小松さんと話してると尽きないね。
小 松:昔を思い出します。またいつか新丸ビルに戻ってきたいと思っているんですよ。他の場所にも丸の内ハウスみたいなところが増えたと思うのですが、本当の意味で街の食堂みたいなところがあるのはここしかないです。
佐 藤:そう、僕がMUS MUSでめざしているのが街の食堂。皆のたまり場で、いつも来ていただくお客さまの健康にも気をつかえるような。
小 松:ああ、やっぱりいいですね、いつかじゃなくて、来年戻ろうかな…。
小松さんチョイスの一品(写真) 「タケダワイナリー サン・スフル」山形県のワイナリーでMUS MUSで初めて飲んで、日本のワインがこんなに美味しいんだと教えてもらった一本。
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