Text_Naoyuki Ikura
“リサイクルショップとスープとネクタイ、まったく異なる3つの事業をメインに展開するスマイルズ。その代表を務める遠山正道さんにとって、丸の内は「チャレンジし甲斐のある場所」だと語る。東京で生まれ育ち、商社マンとして丸の内勤めを経験し、フロンティアとして舞い戻ってきた。そんな遠山さんが考察する、これまでの丸の内と、これからの丸の内。
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「幼少の頃に訪れた記憶があるんですよ。新国際ビルに勤めていた父親を訪ねて。まだ私が10歳にもなっていない頃だから、1970年前後かな。当時から丸の内はビジネス街として栄えていて、見渡す限り大きなオフィスビルが立ち並び、街にはビジネスマンばかり。子供ながらに、大人の街に圧倒されたのを憶えています」
1985年には三菱商事に入社。現在「パスザバトン」が店舗を構える場所にあった丸ノ内八重洲ビルヂング(現・丸の内ブリックスクエア)に会社員として通勤していた。
「当時はこんなに開けてなかったですからね。オフィス以外は何も無かったと言っても過言ではない。社員食堂のようなレストランやナポリタンが出てくるような昔ながらの喫茶店、あとはビアホールがあったくらいかな。とにかく飲食スペースがミニマイズされていました。オフィス街にある飲食店は、サラリーマンの補助的な役割でしかなかったので、当然といえば当然ではあるんですけど、街としてあまりにも味気なかったですね。土日になると、ほとんど人もいませんでしたし」
「それが丸ビル、新丸ビルのオープンによって大きく変わっていきました。なかでも丸の内ハウスは奇跡的なフロアだと思っています。坪単価で計算する複合施設で、よくこんなフロアを作れたなと。オフィス棟で働く人のためだけとは思えない開放的な空間に、通路を活かした非合理的でも味わい深いフロア設計、テラスもあればDJブースだってスタンバイされている。ここまでビジネスとカルチャーがハイブリッドした場所は、世界的に見ても稀だと思います。しかも、それが日本のビジネスの中心地である丸の内にあるんですから」
味気ない街からビジネスとカルチャーがハイブリッドした街へ。かつて社会人として慣れ親しんだ街の変化を、遠山さんはどのように見ているのか。
「丸の内ハウスを訪れると、年配の方がお茶をしていたりするじゃないですか。そういう和やかな光景って、今も昔も変わらないんですよね。それって日本経済の中心地として変わることのない盤石な基板が、きちんとあるからだと思うんですよ。放っておくと以前のようなビジネス街に戻ってしまう可能性だって、まだあるかもしれない。だからこそ、面白い部分を掘り起こし続けて、変化を促すことが重要だと思います」